この度の「豪雪被害」心よりお見舞い申し上げます。

2014 年 3 月 4 日

この度の「豪雪被害」心よりお見舞い申し上げます。

その日の朝、午前2時半頃に電話の呼び出し音にでてみると、牛舎の深夜の見回りをしてくれる従業員からの電話でした。
車で10分くらいの所に住んでいるのですが、車で出勤しようとしたら、途中で動けなくなってしまった。という連絡でした。早速、助けに行こうとして玄関を開けてみると・・・!!
信じられない程の、雪、雪、雪。
「え”っ!!、ここは何処?!」
一歩踏み出したら、膝まであります。この私の・・・、足の長い、この私の膝までですよ!!

軽トラに、どうにか乗り込み四輪駆動にして、ノーマルタイヤではありますが動き出してみました。車体のハラを雪にこすりながらも、どうにか進んでいきます。「がんばれ軽トラ!!おまえしかいないよー!!」と声をかけながら、どうにか現場に到着、従業員の車は乗り捨てて軽トラで我が家に戻ることに、「ぎえー!!」そんなにスピードを出していなかった軽トラが、スリップしてハンドル操作が出来なくなり、縁石に「ゴツン」、左前タイヤ、パンク・・・。
そこから、従業員と歩いて我が家に戻り、四輪駆動のミニショベルカー(ジョブサン)にワイヤーロープとちょっとした道具と従業員をバケット部分に乗せて、まだ雪が降る中を2台の車の所まで戻り、ジョブサンでその周りを除雪して、1台1台、へりによけて牧場に戻りました。

あの朝は、ソチオリンピック、男子フィギュアスケートで羽生選手が金メダルを獲得した日でした。これから先、何年経っても羽生選手の金メダルの話題がでる度に、私はこの大雪の夜の事、そして朝をむかえて、自分なりに除雪を一生懸命やった事を思い出す事でしょう。
そして、あの金メダルに素直に「おめでとう」と言えない自分がいます。私が人間的にまだまだ器が小さいのかもしれまさんが・・・。
あの日、金メダルの映像や報道に沸いていた同じ日本の中で、大雪に悪戦苦闘しながら、不安になりながら、被害を目の当たりにして、涙も出ずにただ呆然と立ちつくす人間が数多くいた事を思うと、リアルタイムであったあの金メダルを素直に喜べないのです。
こんな私を叱責する人がいて当然だと思います。けれども、これが私ですから、お許し下さい。

私の暮らす太田市は「藪塚こだま西瓜」の産地です。12月に定植したスイカの苗を丹念に手入れをして、1個1個、手作業で受粉させ、3重くらいのビニールハウスの換気をこまめにして温度管理に細心の注意をはらい、ようやく、早いものでは3月に出荷出来る状態でしたが、この大雪で・・・。
ビニールハウスの多くが雪に押しつぶされています。それは、もちろん群馬県だけではありません。多くの野菜が、あるいは家畜が被害を受けてしまっています。

徐々に、かたずけが始まり、3重くらいかけてあったビニールがはがされると、すでに茶色くなり始めたスイカの葉の中に、ソフトボール大のスイカがゴロゴロと姿を表しています。まるで、牛の赤ちゃんが未熟児で産まれて、育たずに息絶えて転がっているように見えます。
命あるものを生産して、それを生業(なりわい)としている私も含めた農家にとって、きちんと出荷できるまで育て上げて、お互い(動物、植物と人間)が納得して(納得しているのは人間だけかもしれませんが)、消費者に喜んでもらえる事が、その生き物にとって、とても嬉しい事だと思いますし、生産者としてその生き物のプライドを守る事だと思っています。

かく言う当牧場も、牧草の倉庫(220㎡)が大雪のために崩壊しました。けれども、牛たちには被害が無かったですし、従業員も怪我することなく、あの雪の中でも歩いて出勤して来てくれました。とても、ありがたかったです。
ある所では、集乳車が動けずに、牛乳がバルクタンクに入りきらず、捨てなければならない牧場もあったようですが、当牧場では「チーズづくり」でお世話になっているビルマルさんが、夜中に集乳に来てくれて、間一髪ことなきを得ました。とても、とても感謝しています。

どんな状況に置かれても、私は前向きでありたいです。

きっと、代々農業というものをやってきた人間には、天災に決してくじける事のないDNAが、血液が流れていると信じています。

「どんな状況に置かれても、ただただ生きる事、生き続けて行く事」
それは、私が牛から学んだ事です。
どんな飼い主に飼われても、その境遇にグチをこぼすことなく、毎日、たんたんとエサを食べ、粛々と搾乳をこなして行く。
牛から教えられた、生きるという事です。

季節は、春がそこまで来ています。
次回のメッセージでは、楽しい話題、嬉しい話をとりあげたいです。(微笑)
待っていてください。

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